社会から受ける教育の尊さ


「私たちは三つの教育を受ける。一つは両親から。もう一つは教師から。残りの一つは社会から教えられる。そしてこの三番目は、初めの二つの教えに全て矛盾するものである。」
三権分立論で有名な著書「法の精神」の中で提唱したフランスの啓蒙思想家であるモンテスキューの言葉です。

強い共感を覚え、同時に心を突き動かされる。
言うならば、両親から教わる「嘘つきは泥棒の始まり(嘘をついてはいけない)」の教えは、学校の先生からも同じように教わることになります。
「嘘は世の宝(嘘も方便)」という教わりかたは決してしない。正直者であって欲しいし、正しい人間になって欲しいと願うからです。
しかし、その正直者は一歩社会に出ると利を獲得する為の駆け引きを上手く行うことが出来ずに、利他の精神から競争に苦戦を強いられることがある。一貫して正直者を徹しても、世間を渡れるかは別問題であるということ。
無論、利己主義で刹那的思考しか持たないというのは問題外。
概して言えば、バランスや基準を求めて身につけることを求められ、それこそが生きる力として必要なスキルの一つ。
ここで言う「三つ目の社会の教育」というものが、その役割を担う要素を持ち、人格を整え、また人生を生き抜く力を身につけていくのではないでしょうか。

過去の日本における子ども達は、地域(社会)の中で経験豊かな大人たちに囲まれ交流を通し、広範に渡り生きた知恵が伝えられ、多くを学び成長してきました。
親の目の行き届かないところまで、教育を行き渡らせることこそが効果的な子どもへの真の教育であり、コミュニティ全体が一つの教育機関として機能することで子どもが健全に育ち社会の一成員として成長します。
多様な生き方を認め、他尊・自尊感情も育まれ、学びを得てきた時代がありました。

しかしながら、この大切な一つの文化は時代の変化より希薄なものに。

様々な分野において子ども達の支えになれるような庶民教育運動が今こそ不可欠であり、必要性を強く訴えます。
時代の流れを逆行するという意味ではなく、過去を前衛的に取り入れるということです。
さらに、野外にて活動を行うことで強い体づくりを図ることは素より、心の強さ・在り方を育むことができ、更なる有益な時間を生むことが期待できます。

一つのことだけに特化するのではなく、心の強さ・在り方をも教えていた「現代版の寺子屋」のような新たな担い手として、、、


続く、、、